路地裏の私たち。
おはようございます💖…て、もうお昼ですが。
さてこのblog📓📕📚
せっかくTwitter用に展開しているので度々お気に入りのお友達をfeatureしていこうかな、と思っています🙋
皆さん嫌がらずに登場してね😘
時はとある月曜の朝の事。
お友達のジェッちゃんの深い一言から1日がスタート致しました。
Jet morning 月曜日!
— 路地裏のジェットさん (@jet3hajet3) 2016年12月11日
バチが当たるって言葉ホントか?悪い事して金儲けしてハッピーなヤツたくさん知ってるぞ!人の悪口ばっか言ってるのに商売成り立ってる店もあるぞ!何故なのか?それは罪悪感がないからだ!罪悪感は呪いと同じ物だ。後悔懺悔はいらねぇ。気にすんな!胸を張れよ! pic.twitter.com/Grb3vQxIij
この言葉に深く頷いた(゜-゜)(。_。)
本当に深く、そして良い言葉だと思う。
私達は常に"ポリシー"を自分の中に持ち生きる。その信念は人それぞれであり、そしてそれこそが個人の"ひととなり(為人)"を表すのだと思うのだけれど、ある日どこかでその全てを"善行"として捉えてしまう事がある。
どうあるべきか。
どう生きるべきか。
人に優しく。
その教えは正しくもあり、また過度であり過ぎると自身を囲い込む枠組みとなる。
ジェッちゃんのこの文は
"悪い事をしても悪いと思わなければいい、あなたに責任はない。"
と言っているわけではなく
"自分の信念にしがみつき、何かを失敗したからと言って必要以上に自分を責める事は無い。悪い事をしている奴らは、悪い事をしていても飄々と生きている。
なのによく考えて生きてる君がクヨクヨするのは公平ではないよね?そして君自身を苦しめているのはいつも君だよ。もう少し楽に生きていったって死ぬわけじゃないし、赦しはあるもんさ"
という意味です。
何これ!
深夜に光るホッケーマスクかぶってスヌーピーみたいな事言い出した!天才かよ!!
と思った秀逸さでありました💙💚💛💜❤
因みにこの、罰が当たるという理論は
公正世界誤謬
(こうせいせかいごびゅう、just-world fallacy)
と呼ばれるものであり、簡単にいうと因果応報説。
でもね、なんかどっかでイコールにならないところを無理やりにこじつけて考えている人が多いのもまた事実。
それがあるとするならば、その物事に対してのリアクションのみです。
例えば"家の猫に餌をあげなかったから外でよその猫に噛まれた。バチが当たったんだ"
あなたがあなたの猫に餌を上げないことで噛まれるのは仕方がないが、よその猫に噛まれるのは話が別だよ
これをジェッちゃんは言いたかったんだと❕私は❕思う❕
それは反省であってあなたが成長した証拠だから次からはお忘れなくね、でもそれで前に進む事を怖がるのはおかしな話だろう?
ってとこ🙆💕
英語で考えるとわかり易い。
"what gose around comes around."
善きには良きが、悪には悪が。
人生はその時の選択で全てが決定される。
人のあり方は鏡であり、アクションとリアクションは同等が繰り返される。
あなたの足を引っ張るのは、あなた自身の感情で、全てが他者からもたらされるものではありません。
失敗しちゃったな、と思えば素直に謝り、受け入れ、それでも相手が受け入れる事をしなければそれはただ単に「縁がない」
それだけの事。それだけの。
必要以上に自分を責めず、反省点だけを見つめ、明日を生きて欲しいと思う。
大丈夫❕
今は無理でもいつかきちんと答が出るよ🙆💕
今を諦めなければ。
息をしてるだけで生きてても。
それ位ゆるく、それでも人は赦される。
いい言葉をありがとう💙💚💛💜❤
ジェッちゃんの暖かいお言葉と、彼が与えてくれた気づきでした。
私もあなたも❕良い1日を😊