✿Swag✿

個人的な思想の塊。

罪深き転倒

おはようございます。

えぇ、やってしまったの。

私事から垣間見る、こんな事では!を。

昨日の晩、くだらない事でダーに喧嘩を売ってしまい呆れられています、私です(  ᵒ̴̶̷̥́ _ᵒ̴̶̷̣̥̀  )

 

もはや向こうもホトホト呆れ返り

 

『は?何言ってんの…そんなの信頼性の問題でしょ??また始まったよ…どうして信用しないかね。なんなのそれ。

ちゅーか逆にじゃあ俺の何見てきたんだって話になるだろ?』

 

こんな感じ。もう多分(そんな風には思ってないだろうけど)BBA鬱陶しい❕←

 

ここに悪い方に転んだジャパンスピリッツを見たわぁ〜もう!見た気がしたわぁ〜!

 

だからこそ日本の平和が守られているんだろうけど、もし何か起こっても

"罪を憎んで人を憎まず"

な訳ですよ。何かが起きても、自分の非を先に見つめてしまう、それが日本人。

 

侘寂がありますが、これよくよく考えると

しかし例えそうだったとしてもやっぱり罪を連れてきた方が悪く、それを振る舞われた側は被害者ですからね😲

 

ここから産まれる

"欺かれる前に敵を欺く"→転じて

 

信用したもんが悪い❕

 

何という殺伐感...。

そして毎度、全く信用しないつもりだね。

そろそろ信用したらどうかね。

 

というやりとり。
f:id:tsubame71:20170109161245j:image

 そらそうなる❕

なんだよ、こっちは真剣に真摯に考えてるのにゲームみたいに考えてるのそっちだろ、馬鹿にしてんのかよ、に、なりますわぁ〜。

 

新年特大号にも出しましたが、ジェっちんが言ってた"自分で蒔いた種"という言葉。

you reap what you sowってやつが悪い意味として捉えられて、お前らほんと地下茎根強すぎ❕ってやつです😵

 

これ聖書の中に出てくる言葉が語源なのですが、日本では違う意味として定着していて、それが大きな流れを産み

 

猜疑心を心の鎧としていて傷つけられる位ならいっその事傷付けてしまえ

 

だとか

 

初めから信用しなければ痛手は少数

 

だとか思って、騙し合いの世になったんじゃないかと。辻斬りもいいとこwww

 

自分で蒔いた種には良い種と悪い種があり、どんな困難があろうともそれはあなたの蒔いた種だからあなたはそれを自分の物に出来る権利がある(逆も然り。悪ししもまた。)

 

これがこの言葉の本来の意味です。

例え蒔いた種がどんなものであれ、それにはどこかに赦しがありますよ、という事です。

 

それを大きく自虐的に捉えてしまっているのが日本人の悪い癖なのです❕

 

己の内と向き合うのは良い事です。

しかしながら、全てに自分に責任があるかと言われたらそうではない。

 

やはり、罪深きは罪を作った側なのです。

だからと言って必要以上に、お前めー!と思う必要もなければ、なんだよ結局正直者がバカをみたじゃんか!なんて思うことなく

 

そういう種類の種だったのだろう(遠い目)

 

これで済ませれば、まぁなんかよくわかんないけどとりあえず咲いたよねー……

 

で、良いのじゃないかと。

 

人を信じないのも信用されないのも度が過ぎると非常に失礼です。(という事を学んだ、私涙目www)

 

もうね、今、正直吐きそうな位、馬鹿な事言ったなぁ……とダメージ大。

 

きちんと説明はしましたけどね。

 

『あなたが思うよりもきっと私はあなたが好きで、小さな事でも敏感に反応してしまう。

日本で平和が守られているのは、何かがあっても相手を攻めずに自分を責める、だからこそだと思うんだけど、でもこれは悪いケースの日本の精神だわ。

騙された方が悪く騙した側に罪はない、そうなると初めから信用しない事、となる。

私はあなたを沢山見てきたのに、くだらない事で疑った。ごめんなさい。

あなたはいつも私に正直であるのに、今の私こそが本当に罪深いわね。

 

ただこれだけは理解して頂戴。

私は昨晩、腹を括りました。例えあなたが私を殺す事があったとしてもそれは私の望んだ事。喜んで騙される、喜んで殺される、それほどに愛しているのよ』

 

私、侍かよ!爆www

これ完全に日本人ならひくだろうwww

怖ぇえわ、そして重いだろ!!みたいなとこ。

 

いやね、でもね、疑った私は罪深いわよ。

何があっても結局は好きで、信じている癖に。それ位の気持ちで誰かを愛して信じて、何が悪いの??
f:id:tsubame71:20170109163233j:image

そりゃ社会的にはよくないだろう。

子供もいて、夫もいて、こいつ何ほざいてんだ、ですよ。んな事は解ってる。

 

でも私たちの結婚は恋愛結婚ではなかった。

どこまで行っても私達はビジネスパートナーの枠を超えられず、私の気持ちは12年前に置去りにされたまんま、今です。それは私の夫も知っている。そこには超えられない壁があるという事。

 

それが。

生き写しの様な者が現れた。抗えるかという話です。代わりではないとしても、私の気持ちはそちらを向いている。正しいだとか間違ってるだとかそんな事は最終的に自分が判断する事、決める事。

 

どう思われようが、私は自分の気持ちには嘘をつけません。

 

あちらは私の幸せは子供たちであると理解しているので無理やり引き離すのは良しとは考えておらず、両者納得の上で今があり、その代わりいかんせん私の体の具合が良くないので、何かあった時には私の骨を持っていて貰おうと考えています。

 

母として、妻として、そんな自分がありつつもそれが本当の幸せだったかと言われたら、やっぱり私自身は12年前に歩みを止めたままで、それはもう、誰にも隠していないし、皆が知っている事です。

 

誰かを信じて誰かを心から愛する、必要以上に自分を責めず他人も責めない、不格好な花を愛でるとしましょう。

 

あぁ、しかし。反省あるのみ。

君が可愛いって微笑みそうだね、と、雪だるまのクッキーを見つけたんだよ、と写真をくれました⛄❄

 

疑ってごめんなさい。