選択権の譲渡
あ…(੭;´ ꒫`)੭久しぶりにブログを…w
毎日忙しくて、その上ただいま我が家の三姉妹が全員インフル陽性💉
タミフルで散々騒がれたのに今はイナビル吸入1発でOKらしく…。
はぁ、さてさて。
昨日親友のタカキートくんに会いまして♥
プレゼントを頂きました✩✩
新庄のヒメノモチの餅米を使った甘酒❕
我が健康を気遣ってくれる、そんな周りの友人には大変感謝🙏✨
お母さんってのは何かしら順位最下位、それは健康にも当てはまる。
さぁところでです。
タカキートくんは今や日本のLGBT界を代表する人物となっており、マスコミにも引っ張りだこでして。
前回のアベマTVでは結婚式の様子が流れ、参加していた私や娘もチラリと映ってました✌📷
私は元々考え方がダイナミックでグローバルな部分があって(それは私の長所だと思っている。よそから見たらマナーの足りて無い部分も多いかもしれないですがw)
全てのカテゴリー権限を持つのは小さな世界で良くねーか?
という考え方なんですわ……。
"administratorって一人で良くて後はguestだろ、権限かけんなよ……仕事しづれぇ……"
なんて仕事人時代は企業のPC触る度に思ってたりしましたwww
小さな世界というのは、例えば家を掃除する時にCDを分類する。
これはお気に入りだから特別ギャラリー、こっちはJazz、こっちはhip-hop、こっちはclassic…
このカテゴライズはこういう時に必要ってだけでですね。
これは人にも当てはまって、こいつは男だから女だから、なんて考えて人と付き合わないって事です。
私にはゲスト権限しかないし、アドミン権限を与えられても手に余る。各々の人生には各々に管理権限があるので、それは他人が決めつける物ではない、という意味です。
基本的に肉体なんぞは魂の入れ物であり、自身の性別を考えて物事を判断することもないので昔から私自身もとにかく中性的でLGBTの方達からも大変モテますwww(これは本当に10代からそうでとても仲のいいゲイのお兄さん達なんかも存在しますw)
女にしとくのは勿体ないと言われたり。。
昨日彼らは私のもとに取り下げを喰らった国への申請書類の抗告作成の帰りに寄ってくれたんですが。。
まぁ何処も彼処も言いたい放題の目に余るバッシングで。御本人には大変お辛い仕打ちかと…😌😨😭
普段からよく考えている者はそんなところで軽はずみに発言したりする問題ではないから気にしないで、とは申し上げましたが。
そこで話していたのは
『選択権を譲渡できるシステムを作ったらいいのではないか』
と言う話。
国の規定では体の生殖機能により性別が割り振られるらしく……😌
と、なるとです。
私は出産事故により子宮を持ちません。
ここで私が『私今日からオトコになりたいです🙋』と申し出れば簡単に性別は変更可能なわけです。
欲していないのに、あなたは男でもなく女でもありません、と言われる失礼な状態にあると言うわけだ(≖ᴗ≖๑)🙌✨
その一方、身体機能は女でも自分を1度も女性として認識した事の無い人が別の性別を欲しても『機能がある以上あなたは女です』
これは彼にとっては厳しい問題であり、私にとっては羨ましい問題でありますwww
望んでなくても選択肢を無理やり頂ける私と、望んでいるのに選択権を貰えない彼と。
この選択権を譲渡できれば、日本に在住する人間の頭数を狂わさずに性別の変更が可能になるからそれ採用すべきよねー、なんて。
私にとると、あんたはもう子宮ないんだから好きにしなよどっちでもいいよ!とシカトぶっこかれてる位失礼な話ですw
多分、世間はその観点からその問題を眺めた事はないでしょうね。
某掲示板の書き込みにもありましたが、自分の欲求だけで認めてほしいなんて都合良すぎるんだよ、それなら初めから性別の枠とか必要ねーじゃん、みたいな事が書いてありましたが、そういう方は私に対しても失礼に映ります😖💦
病気や事故は気の毒だし別だよ、そう言われたとしてもそれは個人的な言い訳であり、国が言うなら絶対、とするのならば私の身体状況も現実に存在するのだから絶対でしょう。
私は男でも女でもないwああそうさ、愛する人の子を産みたいと願ってももうそれも叶わねーんだぜ?ホルモンのバランスは崩れるしよぅ…
全ての存在を拾ってから発言すると言うのは大変に難しく不可能な事ですが、思いついたからを言った迄、は、何かしらを糾弾してしまう、と言うのをお忘れなく
と私からも申し上げたいです。
My mama always said, “Life is like a box of chocolate. You never know what you’re gonna get.'”- Forrest Gump
お母さんはいつも言ってた「人生はチョコレートの箱のようだ。開けてみるまで中身はわからない。」- フォレスト・ガンプ
チョコレートの箱ってパッケージは豪華で美しく。でも中身こそが肝心で。
これはもうシュレーディンガーの猫ですね。
箱だけを見て中身を想像することよりも、私はその中身に重きを置きたい。
もう少し人の在り方に寛容さを示してもいいんじゃないかと思う今日このごろ。
彼には色んな困難があるでしょうが、生きやすい世の中であって欲しい事、国が許さないならせめて周りが寛容であって欲しいと思う事、後は人にクソカス言われても自分にだけは負けないで欲しいと思う事、様々をお伝えしました。
愛で世界は救えなくても隣人は支えられるかも知れません。それ位の小ささですが、各々が優しい気持ちで過ごせます様、過ごして頂けます様に💓💓