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✿Swag✿

個人的な思想の塊。

万年筆とガラスペン

「もうすぐ君の誕生日だから」

そう言って私は秘密のあの人からガラスペンを頂いた。

それはとても繊細で美しく、ギフトで詰め合わせてくれたインクには

香りがついていると言う。

私が万年筆を走らせるそのペン先をいつも喰い入る様に眺めては

「書きづらいなら別のに変えればいいのに」

 

私の秘密のあの人はそんな風に言葉を漏らした
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私は人に秘密を持たない。

秘密を持つ事に甘美さを感じた事もなければ、隠すほどの事はしていないし

端から隠さねばならない様な事は行動として認めていない。

しかし、よくよく考えてみると、全てを人に話しているかと尋ねられると

普段から誰かと沢山話す質でもないし、話すまでもなく終わっている事が

他人にとってはとても重要な事であった!という事に気付かされる事もある。

だから私もその"秘密のあの人"が、どれ位の秘密なのかはよく知らない。

 

ガラスペンを贈られた理由は尋ねる迄もなく、きっと万年筆が

私には不向きであるという理由であろうという事は解っていたのだけれど

有り難う、だけでは悪い気もして、どうしてガラスペンを選んだのですか?

と問うてみた。

 

秘密のあの人は君にどこかしら似ていたからだ、と言った。

その言葉の中には私が感じたその意味は含まれていない事は承知していたが

寒い部屋でそれを持つと恐ろしい程にひんやりとした。

 

その夜、私は夢を見た。

それは子供の頃に通っていた習字のお稽古の時間の事。

お茶、お花、お習字、日本舞踊…とまるで許嫁にでも出されていく箱入りの

女性像のようなお稽古事に出されていた私だったが、

ピアノだけは必要ないと言って習わせて貰えなかった。

その反動のせいか将来はその四つは使うことのない音楽の方面へ進んだのだが。

その中のお習字の時間。

筆の運びは悪くはないし、毛筆硬筆かな、ともに要領がよいと褒められていた。

ただ一つ、毎回注意されるのは、筆に対して付ける"墨の量"についてだ。

多すぎても少なすぎても、半紙は薄くてよれたり穴が開いたりする。

「適正を知りなさい」

先生はいつも鬼の様な顔をした。

 

どうしても最後の払いが掠れてしまう事が個人的に許せない事の一つだったので

何度言われても私はいつも多めに、筆に墨を含ませた。

構えた時点で一滴が半紙に滲みを作る。

「ほらまた!」

先生は声を裏返した。

あ、と声も上げる間もなくそれは、ほとり、と一滴筆から垂れて

一度丸くドーム型を描き、端が崩れたかと思うとすぅっと半紙に

吸い込まれていく。無理に持ち上げようとすると下敷きにくっつき、そこに

穴が開いた。

 

自ら望んで申し出たお稽古事であれば、それがどれだけ厳しかろうと

私は楽しくやってのけただろう。でもそうではなかった。

何かを見つめて自分を逃す事に必死になった。

帰り道にはシロツメクサが咲き乱れる空き地へいって、王冠を編んだりして

あった事の全てをなかった事にした。

だからまた同じ過ちを犯したとしても。

私はそうでなければ生きられなかったし、教わりたいとも望んでおらず

こんな事が自尊心を脅かすのなら生きるとはろくでもない事だ!

とまで思っていた。

 

私はいつもその適正とやらを知らず、何かを懸念し、その為の準備を大袈裟に

やってのけ、ある人から見れば満ち足りたそれは気の利いた人間であったが、

ある人からすれば非常に重たい、そういう人間だった。

「適正を知りなさい」

この言葉の意味をようやく理解出来たのは二十歳も回ってからであっただろう。

何か一つの事だけに心が傾き始めると頼まなくてもその言葉が夢に現れる。

自分のことだけ、周りのことだけ、趣味だけ、家事だけ。

どれか一つの事に集中し過ぎるとそれに対して神経質になりすぎて

適正を忘れる。

掃除などが良い例だ。全体が片付いていなくても1箇所に手をつけるとその隅から隅までが気になり

そこだけをとても美しくする。

問題は全体なのだ。1箇所に拘ってそれができる頃には体力も使い果たして一向に解決しない。

物事に執着しすぎない、ある程度はいい加減に熟す、これが適正であるのだ。

 

 

私が万年筆を好んで使うのはそんな理由から来たものだった。

筆圧については初めから終わりまで、手が疲れなければさほど変化は出ない。

が、インクの量はその万年筆の出来と筆圧に関係するので、私の意志とは

関係なく万年筆が生き物であるかの様に好き勝手にインクを抽出してくる事にあった。

一時の「適正」から逃れる事が出来る。

そう感じて使いづらくても万年筆を好んだ。

何かに操られている感覚が居心地の良い時もある。

 

それなのに。

手元にはインクの量を自分で調整するガラスペンがある。

私はそれを暫く疎ましく眺めた。

美しく光を反射して輝く繊細なそれは、子供が出来てからは触れてはいけない様な

容姿で、気付けば大雑把に物事をこなす様になってしまった私にはとても似つかわしい

対岸の姿である。

これを見て秘密のあの人はどことなく私に似ている、と言ったのだ。

私はとても、今の君は残念だと言われている気分になった。

 

人生はいつも同じ事の繰り返しだ。

それは極めてシンプルな事である。

毎日何かを食べ、それが便になって出ていけば下水道料金を請求されるにも

関わらず、何かをおいしいおいしいと毎日食べる。

時間が勿体ないと解っていても時間がくると眠くなる。

生きるために働いて、誰かとたまにセックスをして、セックスの時の単調で滑稽な腰のふりと

なんら変化のない毎日を延々と繰り返す。

興奮している時にそれを見るとそれは極めて魅力的であり艶めかしく映るが、何も求めていない時の

それと言ったら入れたり出したりの繰返しで収めることも知らないのか!と怒りだしたくなる様な

滑稽さである。

 

いつの間にか母になり、いつの間にか自由だった頃の事も忘れ、

今の自分があなたですという人生を選択し、周囲からも同様にこうあるべきだと押しつけられ。

 

メトロノームのリズムをずっと眺めていると視点があわなくなっていくあの感覚に

よく似ていると思う。滑稽で単調なリズムは適正を忘れさせてしまうのだ。

 

今ならばそれはよく理解できる事であるが、それを苦痛だと感じた時に立ち寄ったあのシロツメクサの空き地に似て

単調で滑稽だからこそ、そこにあるシンプルさに目を向けてその時間を楽しむ事が必要であり

時に自分を解放する寄り道も必要なのだろう。

一見時間の無駄に見えるあの空き地こそが私を強くした。何故なら私はその日の稽古を親に尋ねられても愚痴は零さなかった。

 

反発心は抱いているものの、どこかで自分の非も知っていて、そうなってしまう事の原因まで見つめる機会を持たせた解放区だ。

 

頂いたガラスペンの先を少し、インクに浸す。

ガラス製だとは思えない程、その芯に馴染む。

つきすぎたインクがインク壷に戻っていく時間、私はそれを眺めながら

適正を知れと鬼の様な顔をした先生と、その適正を知らない事を我が儘だとは知らず

個性だと感じていた自分を恥じた。

 

私の秘密のあの人は、もしかしたら私がその適正さ故に極めてクールで

的確な距離を保って接する事に寂しさを感じ、その意味でこの冷たそうな

ガラスペンを贈ってくれたのかも知れない。

少しだけ、申し訳なく感じた。

私の不器用さが邪魔をして、本当の私を伝えようと真心から来ているそれを

疎ましく感じたりして。

少し素直にそれを眺めると、適正さは自分も相手も守る方法だと解るのに。

 
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私は初めて、紙にガラスペンの先端を走らせる。

「あなたの仰っていた事がようやく胸に馴染みました。

このペンの先の、インクのように。」

 

私はもう半紙に穴を開けることはないだろう。人との間柄にも穴を開けることはない。

単調さを楽しみ、時に解放し、適正さを保つ。

多すぎず、少なすぎず。