✿Swag✿

個人的な思想の塊。

香り記念日、独りのドライブ。

彼の車はエンジンをかけるとナビが作動し、今日が何日の何曜で、今日が何の日か迄を教えてくれる。それも、ナビのご機嫌のよい時だけ。

 

私はそれを聞くのが好きだ。なんて事ない1日でもその空間を二人占め出来ている事が好きなのだ。彼は、私がそれを聞くと喜ぶのを知っていて、電話なりメッセージで
"今日はこいつ、久しぶりに話してくれて、〇〇の日だって言ってたよ"
と頼みもしないのに教えてくれる。

その瞬間は、離れていても、あの車の、同じ空間にいる様な気分になる。


私たちはなかなか二人の時間を見つける事が困難で、たまに会える時には二年ぶりにようやく逢えた恋人同士みたいにキスをする。一度くちづけて、言葉を発し、またくちづけを繰り返す。一番近くで笑って、私の髪を指で正し、またくちづける。

 

ここ数日は会えない日が続いた。
声を聞く事も困難で、同じ時間にネットワーク上にいる事も珍しく、なんとか短い単語を繋いで、紡いで、メッセージを残していく。

 

10月も終わろうとする30日、どの街の色もオレンジばかりが目立ち、無表情のかぼちゃが溢れ、どの辺りがハッピーなのか全く解らないけれど騒ぎたい人達がうずうずしている音が聞こえてきそうな程だったので、私は少し街から離れる事にした。

 

ふらっと自分の車でドライブする程度の短い旅だけれど、恋をすると感傷的になりやすい。誰かを好きだという気持ちは、人を強くする代わりにとことん弱くするものだ。

 

世の中は浮かれムードなのに、好きな人の顔さえ見れやしない、ただそれだけで、浮ついた時間から逃れたくなる。

いつも走る方向とは反対へ折れて、出来るだけ静かで、出来るだけ何も無いような場所──。

 

川岸のあちら側の木々から鳥が囀り、水面は静まり返ってギリギリで湯気とも霧とも見分けがつかない白いモヤをかけている。この川の少しいった先にはダムがあり、その隣を沿うように大きなカーブや小さなカーブを描きながら道が続いていく。

 

この歳になって"車の運転"と言われると、もう何年も乗っています、といった風情に映る物の、免許を取ったのはまだ二年前の事だ。

 

都内で暮らしている頃は電車もバスも遅くまで走っていたし、車を持つ事で維持費はかかるし駐車場代だって取られるし、車を持つ事のメリット等見つける方が難しかった。当然乗る予定も無かったので、免許を取るだなんて考えた事もないまま、歳を重ねた。

 

ところが色んな事情が重なり、気づけば私はこんなにも煌びやかさとはかけ離れた日常に、大地に、投げ出されている。

 

何をするにも車がいる土地で、車の免許さえ持っていないと言うとそちらの方が驚きであるようで、色んな方に早く取れ早く取れと急かされ、ようやく、二年前に取得した。その為、私はまだ、初心者に毛が生えたレベルなのである。

 

取得してから二年経ってもやっぱり何車線もある道路は怖いし、高速だって覚束ず、誰かの隣にちょこんと座って、やれ喉が乾いたとか、景色が綺麗だとか、お腹が空かないかとか、運転席の人にちょっかいかけている方が向いていると感じている。

 

今まで色んな人の車に乗せてもらって来たけれど、私は何故か彼の運転がとびきり好きだ。私が助手席に居る時は、私の右手が遊んでしまうのを気にかけて、いつも握ってくれている。

 

よほど狭い道や急なカーブにならない限り、その手は解かれる事は無い。私では入るのが難しいような狭い道でも片手ですんなり車の頭を差し入れる。急なカーブでも滑らかでふわぁ~っと漂うような運転をして、まるでピアノ奏者を見ているような気分になる。

 

手を離してしまう時は
「ちょっとごめんね」

とわざわざ断りを入れてから離すところも好きだ。小さな気遣いの溢れる運転をする人。


そんな事を考えながら、今日は一人で、運転している。それで少し、彼の運転を意識してブレーキとアクセルの踏み込む加減を緩やかに、ハンドルは滑らかに、美しく。

それを心がける。

 

川岸に車を止めて、何をするというわけでもなく、ただ黙って水面を見ながら、買っておいた珈琲を飲む。11月も近くなると水辺は冷えて、時折、首をすくめる。ホットにすれば良かったのに、車の中が暖かいからアイスにしたのは大誤算。彼なら君らしいって笑うだろう。

 

こんなに好きなのに。
こんなに、好きなのに。

 

お互いに、それぞれの、帰る家がある。

 

空気は静かに澄んでいて、狂気を感じる程で、吐く息が少し、白む。

 

このままじゃいられないよね。
ずっとこのまんまって訳にはいかないんだよ。

だいたい最後はその会話。
どっかの鳥が笑うように鳴く。

 

多くの恋愛は希望のあるもので、行き着くべきところに向かうのに、この恋はいつもサヨナラをどこかに含む、そんな恋だ。

 

あの車の、あの空間に、私がいられるのはいつまでだろう。自分で運転できる様になったんだから、いつまでも乗せてもらう訳にはいかない事も解りながら、今まで交わしたキスの数や、私の仕草の可愛さを堪らなさそうに見つめるあの眼差しを思い出す。

 

思い出さなければいけない位に、二人の距離と時間が遠い。ポケットのスマホが震える。

 

「今日は香りの記念日だって」

私を抱きしめると、顔をみると、いつも嬉しそうに、あぁ、いい香り、と深呼吸する人からの、お知らせ。

 

前回の夜は家についたら私の香りがシャツの袖口についてたとかでクンクンしながらメッセージして来た人。

車の中で急に、あぁ、旅行いきてぇなぁ~もう誰にも邪魔されずに一緒に買い物したり、珈琲飲んだり、時間が有り余るほどあってさ、あぁいいな、旅行、行きたいね

なんて言ってた人。


私達は目的地に着くとも着かずとも言えない時間をいつもドライブしているようだ。離れてしまうであろう関係やキスや指を感じながら。

 

独りのドライブの自由さと、寂しさ。
私の心を、いつも、知っていて。

 

大きな鳥が木立を揺らして飛び立つのを見てから、車のドアを閉める。

 


M-flo loves Yoshika : Let Go - Acoustic Version - YouTube