✿Swag✿

個人的な思想の塊。

記憶の本棚

あの人は変わってしまった。
人も時間も流動性があり、不変ではないとはいえ、あの人は。

 

小さな頃、私が産まれたばかりの頃は大きな家で暮らしていた。出産を機に夫婦が独立して小さな家を借りて暮らしたのはそれから間もなくの事である。

 

物心がつく頃には一段と高くしつらえられた仏間に、夫婦で一つずつのカラーボックスが置かれ、その上に横長の私専用のカラーボックスが置かれた。仏壇は父方の実家にある為に、当時としては珍しく、我が家には小さな仏壇もなかった。

 

何より夫婦には宗教上の違いもあったし、母は私を無神論者として育てたがった。それぞれの対峙する宗教上の良いとこ取りだけをして生きていくべきだ、そう感じたのであろう。あったのはサイドボードの上のレースマットの上に香水瓶や化粧瓶がたてられた間にいたマリア像、それもまた、アクセサリーをかけておくのにちょうど良く、我が家のマリアは光を受けてはキラキラとしていた。

 

おかげ様で私は願われた通りの無神論者に成長した。神も仏も存在せず、存在するとすれば命あるもの全てが神であり仏である、そういう考えだ。

 


うちの母は免許を持っていなかった。
出かける時は父と一緒か、自転車か、バスか。車の免許を欲しがってはいたが、たまに
「でも、誰かに運んで貰う居心地の良さは捨て難いのよね」
とよく口にした。暇がある、というのが嫌いな人で、車の中でも何かをしてる人だったので、運転に縛られる事や、それしか出来ないという状態が嫌いだったのであろう。

 

私が小学生の頃、足の骨を骨折して保健室の先生が学校から迎えの連絡を入れた時も車の免許がないので、堂々と、自転車で来た。

 

タクシーとかなんかあるだろ……と思ったが

「馬鹿ね、迎えに来て貰えるだけ有難いと思いなさい。あぁ、座布団を忘れたから少しお尻が痛いかも」

彼女にとって誰かが迎えに来てくれるという要素は極めて特別な事であった。時間を与えてくれる、というのは、その時間を自由に使える、という事で。。

 

帰り道の自転車が作る振動は、骨折しているのに下ろさねばならなかった脚に響き、その度に悲鳴が上がり、別の事を考える、や、景色を楽しむ、なんて事は出来ず、少し恨んだ。
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うちにいた夫婦はどちらも本が好きだった。

どこかへ出掛ける際にはどちらも1冊は本をバッグに忍ばせていた。

 

父は"ど"がつく程の潔癖で、ズボラな性格ながらにそれに合わせて綺麗好きだったうちの母は、本を買ってくると丁寧に表紙を消毒し、1枚ずつ紙のカバーを作り装丁した。

 

その内にカバーリングする為の紙を買うのが面倒になったのか、そこら中の紙を使いはじめた。頂き物のお菓子の包装紙、のし、それが入っていたであろう紙袋…。

 

 

私が宿題をしている隣に座って煙草をふかし、たまに長いまつげにかかる煙を払い除けながら夕飯の支度前まで涙目で文章を目で追っていた姿があった。

「山本……」

「…なに?」

「山本…って書いてある」

「あぁ、そうそう、お返ししなきゃね」

カバーリングに熨斗を使っていた為に、母が開いていた本の背表紙にはどーん、と山本、という文字が入っていた。

 

真ん中で仕切られるプリントされた水引はリボンが結われた様で可愛かったが、山本!と主張して来るそれはとてもダサい、鉛筆のお尻を齧りながら、そう思った。

 

「頂きものでこうしておくと、誰から何貰ったのか忘れないし、お返ししたとかしないとか、それも思い出せるからいいのよ」

 

賢い女だと思った。
結婚生活ではその賢さが仇になった訳だが、それはとても良い案だと子供心に思っていた。

 

「山本!って感じの話なの?」

「全然。この山本って人はクスリとも笑わない腹黒くて陰険な奴なんだけど、ことある事にする事だけはきちんとしてくるから、一般的にはいい人、でも本当は嫌なヤツ。

お返しなんかしないでもいんだけど、された以上はしておかないと、言われるの、お父さんでしょ」

 

そんな陰険な山本を連れて、母はその本を読み終わるまで連れ立って外出した。

 

元はショービズ界の人で主婦である事の方が珍しいその風貌と、時間を潰す為に開かれた本の背表紙には"山本"と書いてあり、それはそれで新鋭的なファッションの様に見えた。

 

迎えに来て貰える事を喜んで車に乗り込む母は片手に"坂井"の時もあったし、可愛くて綺麗な花柄の時もあった。

 

「いい本を読みなさい。いい本って別にお堅い本じゃなくてもいいの。美しい日本語で、美しい心の書いてあるものを読みなさい。

裏切ろうが何しようが、美しさってのはその中にあるんだから、この人が何を書きたかったか、何を言いたかったか、それを汲み取るだけの頭は持てってことよ」

 

今で言う"察しろ"という事なのであろう。
相手の持つ何かを察しろ。

 

 

文庫の中には子供でも読めそうな少しファンタジー色の強い優しいものもあって、自分向きではなかったけれどあなたが読めば面白いのかも、解らない字はこれでどうぞ、と辞書もつけて渡された。

 

「お父さんは顔ばっか良くて、頭悪いって有名だったけど、それでもあの人は本を読むから、漢検だけは準二級なのよ。なんの意味があるのか知らないけど…まぁ家柄もあるでしょうね。あの家、お堅いから」

 

と少し馬鹿にしていたが、その家でも通用する様に私を育てたかったには違いない。言われるのは母であり、私だ。

 

 

ある事を境に私達は解散した。
母に馬鹿だと言われ続けた父が原因だったが、やっぱり父はいまだに馬鹿で、でもそれはまだ愛らしくしょうもない類の馬鹿である。考えなしの昭和色の強い

「どうしようもない」タイプのバカ。

 

逆に、才女で美しかった母は向かうところ敵なしで、頭が賢いだけあり、私の知る人間ではなくなってしまった。


彼女は彼女なりに、様々な苦悩の果てに、色んな事を「まぁいいや」としたのだと思う。

 
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私は私で大人になっても代わらずにやっているが、やはり当時の育てられた印象が色濃く根付き、どこかへ出掛ける際には1冊の本を持って出掛ける。

 

……私の場合は電子書籍も持って出かけるので1冊だけ、とはいかないものの。

 

カバーリングもその方法を採用していて、先日それを書いたら、真似をしたい、や、良い方法だと仰った方もいらっしゃった。


人にも時間にも流動性があり、変わっていく日々の中で、忘れてしまう事、忘れたくない事、知らずに忘れてしまう事、忘れるべき事、覚えておきたい事、覚えておくべき事、そういう物が混在し、不変ではない中で、それらをゴミにせず、役立てて大切にして行く方法で、私の日々は彩られる。
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それが誰かに見えずとも、自分の人生に触れてくれた人への感謝として息づいていれば、それで良いのだと思う。